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COLUMN

エム・エム・ヨシハシ代表:吉橋氏インタビュー

デザイン・図案を立体に起こす陶磁器業界の原型職人

 

 

株式会社エム・エム・ヨシハシ

原型と型の製造において約50年、その分業の一翼を担ってきた三代目の吉橋氏は、これまで、窯元から依頼をされて型を作る受注生産を生業としていました。
ところが、時代の流れとともに受注は減少。自ら販路を開拓し、自分たちで商品を開発していこうという思いをきっかけに、新商品の共同開発がスタートしました。 現在は自社ブランドの展開や、Trace Faceのような新商品の開発を続けられています。


 

エム・エム・ヨシハシ 吉橋賢一氏 インタビュー

 

――― まず始めにエム・エム・ヨシハシさんの事業内容を教えてください。

吉橋氏 焼き物の生産する上で必要な『型』を作る(原型を作る)会社をしています。

あとは型の技術を応用して、陶磁器のオリジナルブランドも運営しています。

 

――― 原型を作るとは、具体的にはどのような内容になりますか?

吉橋氏 焼き物作りは、ろくろを回して一貫で作っているイメージをされている方がいらっしゃると思いますが、「瀬戸」「美濃」「有田」等と焼き物の大きな産地には、それぞれの工程を専門の業者が行う「分業制」で成り立っています。型を作る人、できた型に粘土を流し込む人、釉薬をかけて焼く人、絵を描く人とそれぞれの工程ごとに専門家がいて、一つの商品ができていきます。私は焼き物の大本になる、原型や型を作り、次の工程の専門業者に渡していきます。原型の方向性を失敗すると最後の仕上げの商品がうまく行かなくなるので、焼き物の仕上がりを想像し、全体を見通しながら型を製造していきます。

――― 「原型職人」と初めて耳にする方もいらっしゃると思います。型作りの中でも得意とする技術はなんですか?

吉橋氏 型の製法として「圧力鋳込」「動力成形」「ガバ鋳込み」等の製造方法がありますが、弊社はどの製造方法でも作れるのが、持ち味となります。

ただ弊社は祖父の代から開業していますが、それぞれの代で得意不得意があります。

祖父の頃は人形の原型を作るのが得意でした。父の頃は、自動車用の型製造を行っていました。

―――自動車用の型は何に使われていたのですか?

吉橋氏 はい。技術的には似たようなものでしたので、工業製品としてやれるのではないかと。愛知ということもあり、自動車メーカーの部品関連、ボンネットなどを石こう型で設計していました。割と精密なものを得意としていました。

 

 

 

デザイン・図案から立体的に起こしていく作業が一緒だと気づき、事業継承


―――吉橋さんが、この道に進まれたきっかけやその当時の心境などをお聞かせください。

吉橋氏 中学校までは、なんとなく継ぐのかなと頭にはありましたが、成長するにつれて世間が広がっていくと、この仕事がやりたいとは思えなくなりました。その頃はデザインやファッション等に興味があり、上京しました。
私が継ごうと思ったきっかけが、東京のファッション専門学校に通い、パタンナーの勉强に励んでいました。パタンナーは服をデザインして、立体に仕上げていく作業です。
ある時、実家に帰省した時に父親がやっている仕事を見たら、布と焼き物で素材が異なりますが、「デザインから立体的に起こしていく作業」の工程が近く、自分のやりたいことと合っていると考え、引き継ごうと決意しました。その当時は業界の事は知りませんでしたが、せっかくやるのであればもっと面白く、自分たちで商品開発をしていきたいと考えていました。
―――事業を継いだ時ですが、業界も知らなかったとお聞きしました。振り返っていただくと、その当時に困った事はありましたか?

吉橋氏 自分で様々な焼き物商品を作っていました。それをどのように販売していったらいいのか。形は作れるけど釉薬をどのように表現していけばいいのか等、頭の中でうまくできず、数年間くすぶっていました。

CEMENT PRODUCE DESIGNとの出会い


 

―――そのような時期にCEMENT PRODUCE DESIGNと出会いがあったとの事ですが、その出会いの経緯や印象をお聞かせください。

吉橋氏 はい。その時期に、名古屋インテリアショップの社長さんと知り合いで、その方に売り方や表現の方法などを相談していました。その方から、金谷さんをご紹介いただきました。

最初は作ったパスタ皿を見せてどの様に売っていけばいいか相談しましたが、金谷さんからは、パスタ皿だと他にも似たような商品があるため、自分の技術や強みを活かすやり方がいいのではないかとアドバイスを貰い、商品を改めて開発していく事になりました。その商品が”Trace face”になります。

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―――強みを活かすやり方ですか。

吉橋氏 原型作るときは石膏を手掘りで作っていきます。その精巧な技術を用いた方がいいと。

 

―――Trace faceは細かなニットの網目を緻密な手彫りで再現されています。型を手彫りで掘る技術が反映されていますね。商品開発された後はどのような影響がありましたか?

吉橋氏 自分が思っているデザインや考え方、売り方が「市場と違う」ことが気づきになりました。あと、自分たちが開発した商品が、実際にお客様の手に届いたという実績になったのも大きかったですね。そこからお客様の声を拾って次の展開が段々と見えてきました。

また、業界内では型屋が分業の枠を越えて自社商品を開発していくのが、タブーとされていましたが、1つ実績が出来ると、業界内から協力してくれる人も出てくるようになり、業界全体が盛り上がってきたのも嬉しかったですね。風向きが変わってきたきっかけを作っていただきました。

Trace faceの詳細はコチラから

組合に入っていないからこそできる、自由な表現と挑戦


―――変化の一つとして自社ブランド「AND C」を立ち上げられています。自社ブランドを設立したきっかけなど教えて下さい。

吉橋氏 CEMENT PRODUCE DESIGNさんと出会う前から模索していた、家庭に馴染むシンプルなデザインの商品を目指しました。型自体は、昔からある型を用いています。

CEMENT PRODUCE DESIGNさんと出会ったことで、売り方や見せ方、デザインを学び、満を持して発表した自社ブランドになります。

 

―――自社ブランド設立等、様々な取り組みをされています。現状の業界全体のお話を聞かせてください。

吉橋氏 業界が盛り上がっているのは、実はほんの一部です。後継者がいる、経営者がまだ若いなどこれから先、なんとかしていきたいと考えている人達です。残りは請負の仕事を継続していく現状で、業界全体を考えたときは、明るくはないと考えています。

―――そのような業界の中で、ヨシハシさんの次の考動や取り組みがありましたら教えて下さい。

吉橋氏 まず、組合には所属をしていないので責任をもって自由に挑戦できます。私の考えとして補助金ありきで“モノづくり“をすると考えが縛られて思うようにできないと考えています。

また、これからの事を考えて、瀬戸の職人仲間と2つ行動を起こしています。

ひとつは、毎年秋頃に【Seto Open Factory】を開催しています。「今の瀬戸のやきものの現場を知って欲しい」そんな思いで始めました。バイヤーさんやデザイナーさんとモノづくりに携わる人達を招いて、瀬戸の大小の工場を見てもらうオープンファクトリーです。

 

もう一つは、今年の6月に開催予定でしたが、「Land of Pottery」というイベントも企画していました。焼き物の聖地という名前を付けて、ただの陶器市イベントではなく、一般の人に焼き物の深いところを知ってもらうため、ワークショップや制作工程紹介等より一層焼き物に興味を持っていただけるイベントを企画していました。来年も開催予定です。
また、業界が盛り上がるためには、瀬戸の職人、一人一人が力を付けて飛びぬけていく事が大切だと考えています。例えば、瀬戸焼きならヨシハシだよね、ここの窯元をよく調べると瀬戸焼だよねと、飛びぬけた存在の人が瀬戸に何人か現れるのが理想だと思っています。

 

―――最後に、今後の夢・目標、チャレンジしたいことなどを教えてください。

吉橋氏 チャレンジしたいことは、自分の工場に窯を持ちたいと考えています。分業だと沢山作るには効率がいいですが、少し手を加えたい、細かな修正をするのが難しいです。ですので、窯を持って鋳込みも行い、細かな表現をしていきたいです。

あまり人には言っていないですが、型を作る仕事で一番うれしい事は「デザインの状態や頭で考えている図案が立体のものとして、この世に産まれる瞬間に立ち会えること」です。

それを実現するために、生産体制を整えて、究極的にすごいねと言われる立体の物を製造して行くのが今後の夢です。

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吉橋さん、インタビューありがとうございました。

text by takahashi

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